MKDYネットは少人数ながら長州(山口県)の中医漢方薬学派の薬剤師が集まり、HPやブログを利用して正確な日本語としての「漢方」と「漢方薬」の正しい意味と中医学や中医漢方薬学が構造主義科学であることを啓蒙する運動を行っています。
「科学」とは一体どういう意味なのか? この言葉は安易に使用されやすくあやふやな言語で、使用される文脈によってはかなり怪しい使い方をされます。本来、理系のみに用いられるはずのこの言葉は、過去も現在も、文系方面でも盛んに使用されてきました。ずいぶんあやふやな言語に成り下がっています。
理系で使用される「科学」という言葉も同様です。たとえば、医学・薬学方面における、とりわけ「漢方と漢方薬」の分野における使用方法です。
昨今では「漢方の科学化」というスローガンのもとに、あるいは科学的実証という名のもとに、漢方医学や中医学の特質の一つである「個別性の重視」が忘れ去られ、同一方剤による普遍性の追求、つまり同一病名や症状に目標を絞って、何人中に何人有効であったかの検討が盛んなようです。
弁証論治はおろか方証相対の概念すら無視したこの分野の研究に過度な期待を寄せると、次元の低い漢方医学に堕するのみではないでしょうか?
実際には「漢方の科学化」というのは言い換えれば「漢方の西洋医学化」あるいは「エビデンス漢方」という意味にほかならないようです。
ところで、中医学こそは既に科学であり、陰陽五行学説を基礎とした構造主義科学であることをもっと認識すべきでしょう。
生体自身は有機的に構造化されており、あらゆる自然環境や人為的な環境に影響されるとする中医学特有の「整体観」こそは構造主義科学理論としての中医学の基本概念でもあります。
科学は仮説に基づく理論大系化の試みであり、現実世界に十分有効な理論であれば、一つの立派な科学理論として成立するのです。
中国の伝統医学・薬学である中医学および中薬学は構造主義科学であり、構造化された生体内を「五行相関にもとづく五臓を頂とした五角形」として捉えることから出発し、臨床に直結した医学薬学理論として常に生体内に共通した普遍性の探究を継続して基礎理論の確認と補完を図りつつ、最終目的である疾病状態における個体差(特殊性)の認識と治療へとフィードバックさせる医学・薬学であるのです。
ところが、日本の伝統医学ともいわれる「漢方医学」は、江戸期に吉益東洞により陰陽五行学説を空論憶説として否定して以来、没理論の自縄自縛の自己矛盾に陥ったまま現在に到っています。
それゆえ、昨今しきりに喧伝される「漢方の科学化」というスローガンは、吉益東洞の「親試実験」という没理論の世界、自縄自縛の自己矛盾の世界となんら変わるところがないわけです。
実をいえばやはり「科学」というのは某教授もご高著の題名に使用されたごとく「科学は錯覚である」というのは名言だと思われます。
「科学」や「科学的」という錦の御旗を掲げている主張に対しては、常に半分くらいは疑ってかかるべきでしょう。
日本漢方の閉塞状態を脱するには、中国の伝統医学の本質である陰陽五行学説を土台とする中医学理論を導入して「中医漢方薬学」の方向を目指すべきではないでしょうか?
参考文献:構造主義科学としての中医漢方薬学:中医学は構造主義科学
生体内の生命活動は構造化されており、人体の生命活動を、五行相関にもとづく五臓を頂とした五角形が基本構造であると捉えているのが中医学である。
五臓を頂とした五角形にゆがみやひずみが生じたときが病態であり、病態分析の基礎理論となる構造法則の原理が、陰陽五行学説である、と考えればわかりやすい。
陰陽五行学説に基づく中医学理論は、臨床の現実に即して展開され、原理的に新たな理論の充実を図ることが可能である。
それゆえ、治療の成否は中医学基礎理論の知識を、実際の臨床にどのように活用し、展開させるかという一事に関わって来る。
中医学は、構造化された生体内を「五行相関に基づく五臓を頂とした五角形」として捉えることから出発し、臨床に直結した医学理論として、常に生体内に共通した普遍性の探究を継続しながら、基礎理論の確認と補完を図りつつ、疾病状態における患者個々の特殊性の認識(把握)を行なうとともに、この認識に基づく治療へとフィードバックさせる特長をもった医学である。
古人は医学領域において五行理論を利用することによって、五臓相互の関係の説明に役立てている。気血津液精という基礎物質の生成・転化・輸布・排泄などの生理的・病理的関係にもとづいて五行理論を巧みに利用し、相生・相克・相乗・相侮などの概念によって五臓相互の関係を説明しているわけである。
医学領域における表現形式として五行理論を巧みに利用している点に留意すべきで、このような中国古代人のプラグマチズム的精神を体現した融通性は高く評価すべきであろう。